<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom"><title>emptiness</title><link href="https://www.cuna.blog"></link><id>https://www.cuna.blog</id><author><name>cuna</name></author><updated>2026-08-22T08:45:26+00:00</updated><entry><title><![CDATA[2026.08.22]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/59148413/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/59148413</id><summary><![CDATA[厄介なのは、なにも知らないことではない。実際は知らないのに、知っていると思い込んでいることだ。ーマーク・トウェインー悟りやサマディに関して、まるでそれを達成したかのように話す人、書く人がいて、それならまだしも、「集金」とセットで「〇〇すれば悟れる」、「〇〇すれば救われる」などという団体や人がいますが、要注意です。もちろんカズミも、なにも知りません。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-08-22T08:45:26+00:00</published><updated>2026-08-22T09:02:08+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>厄介なのは、なにも知らないことではない。</p><p>実際は知らないのに、知っていると思い込んでいることだ。</p><p>ーマーク・トウェインー</p><p><br></p><p>悟りやサマディに関して、まるでそれを達成したかのように話す人、書く人がいて、それならまだしも、「集金」とセットで「〇〇すれば悟れる」、「〇〇すれば救われる」などという団体や人がいますが、要注意です。</p><p><br></p><p>もちろんカズミも、なにも知りません。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2026.08.02]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/59084159/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/59084159</id><summary><![CDATA[高いところや遠いところにあるような特別な場所や特別な状態が「サマディ」ではありません。「ココ」にあるものが見えないと、高いところや特別な状態を必死に目指すことも起きてきます。複雑で難しく見えるポーズを外側から一個ずつクリアしていくことも、何かを成し遂げた先にサマディがあると思い込むことも、何も問題ではありませんが、サマディがそのようなこととは一切関係しないということを身体を使ったヨガのプラクティスが伝えています。基本の中に奥義があります。ひとつのポーズの中で見える景色はどんどん変わっていきますが、「いつか」はありません。サマディは何かがどうにかなる「個人のストーリー」とは一切関係せず、「イマココ」を大事にしましょう！という教えとも関係しません。「いつか」はなく、当然ながら「いま」もありません。♩♩♩]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-08-02T03:54:05+00:00</published><updated>2026-08-04T10:45:33+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>高いところや遠いところにあるような特別な場所や特別な状態が「サマディ」ではありません。</p><p><br></p><p>「ココ」にあるものが見えないと、高いところや特別な状態を必死に目指すことも起きてきます。</p><p><br></p><p>複雑で難しく見えるポーズを外側から一個ずつクリアしていくことも、何かを成し遂げた先にサマディがあると思い込むことも、何も問題ではありませんが、サマディがそのようなこととは一切関係しないということを身体を使ったヨガのプラクティスが伝えています。</p><p><br></p><p>基本の中に奥義があります。</p><p><br></p><p>ひとつのポーズの中で見える景色はどんどん変わっていきますが、「いつか」はありません。</p><p><br></p><p>サマディは何かがどうにかなる「個人のストーリー」とは一切関係せず、「イマココ」を大事にしましょう！という教えとも関係しません。「いつか」はなく、当然ながら「いま」もありません。</p><p><br></p><p>♩♩♩</p><p><br></p><p><br></p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[サマディ　距離]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58892979/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58892979</id><summary><![CDATA[サマディは特定の状態を指す言葉ではなく、サマディは全てです。なので、サマディに触れていない人はいません。触れるとか触れないとか選択する余地もないくらい(実際に選択不可です)、そこにあります。...もう言葉なのでちょっとめちゃくちゃですが(笑)、このダイレクトさを言葉にするとしたらこんな感じです。サマディが遠くにある特別な場所や特別な何か(境地)のような気がするのは、そこに「距離」があるからです。「私(個人)」が生まれた瞬間に「距離」が生まれます。すると、もうダイレクトではないですね。"私"がサマディを手にする。"私"がサマディに辿り着く。そうなってしまうわけです。ここに距離が見えますか？「私」と「サマディ」の間の距離が見えますか？...「私」が強まるほど全てのものとの距離が深まります。"私"が手に入れる。"私"が救われる。今よりもっとしあわせになれる。もっとお金持ちになれる。でも、そうではなく、むしろそれをやればやるほど"私"が強まります。それをやっているのが宗教やスピリチュアルの世界ですが、本当のリアルは、誰も救われません。誰も悟りません。...でも、だからといって、例えば「救助隊に〇名の方が救われました」というニュースを見て「実際は誰も救われない」なんて思うことは起きないし、宗教を持つ友人に「誰が救われるの？」と思うことも起きません。これは何かの教えや、答えや、そのような情報や、知識ではないからです。「個人」とは一切無関係です。...♩このブログにはヨガのこともサマディのことも書いているので混乱させてしまうことがあると思います。ヨガのことについては、今後はここにはあまり書かないかもしれません。その分レッスンを通して伝えていきます。このブログにはサマディのことを時々書いていきます。♩]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-06-06T08:10:50+00:00</published><updated>2026-08-02T04:09:36+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>サマディは特定の状態を指す言葉ではなく、サマディは全てです。なので、サマディに触れていない人はいません。触れるとか触れないとか選択する余地もないくらい(実際に選択不可です)、そこにあります。</p><p><br></p><p>...</p><p><br></p><p>もう言葉なのでちょっとめちゃくちゃですが(笑)、このダイレクトさを言葉にするとしたらこんな感じです。</p><p><br></p><p>サマディが遠くにある特別な場所や特別な何か(境地)のような気がするのは、そこに「距離」があるからです。</p><p><br></p><p>「私(個人)」が生まれた瞬間に「距離」が生まれます。</p><p><br></p><p>すると、もうダイレクトではないですね。</p><p><br></p><p>"私"がサマディを手にする。"私"がサマディに辿り着く。そうなってしまうわけです。ここに距離が見えますか？「私」と「サマディ」の間の距離が見えますか？</p><p><br></p><p>...</p><p><br></p><p>「私」が強まるほど全てのものとの距離が深まります。</p><p><br></p><p>"私"が手に入れる。"私"が救われる。今よりもっとしあわせになれる。もっとお金持ちになれる。でも、そうではなく、むしろそれをやればやるほど"私"が強まります。</p><p><br></p><p>それをやっているのが宗教やスピリチュアルの世界ですが、本当のリアルは、誰も救われません。誰も悟りません。</p><p><br></p><p>...</p><p><br></p><p>でも、だからといって、例えば「救助隊に〇名の方が救われました」というニュースを見て「実際は誰も救われない」なんて思うことは起きないし、宗教を持つ友人に「誰が救われるの？」と思うことも起きません。これは何かの教えや、答えや、そのような情報や、知識ではないからです。</p><p><br></p><p>「個人」とは一切無関係です。</p><p><br></p><p>...</p><p><br></p><p>♩</p><p><br></p><p>このブログにはヨガのこともサマディのことも書いているので混乱させてしまうことがあると思います。ヨガのことについては、今後はここにはあまり書かないかもしれません。その分レッスンを通して伝えていきます。このブログにはサマディのことを時々書いていきます。</p><p><br></p><p>♩</p><p><br></p><p><br></p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[サマディ(自己の不在)]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58829499/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58829499</id><summary><![CDATA[悟りやサマディと聞くと特別な状態をイメージすると思います。私もそうでした。でも、サマディには何の意味も特別性もありません。これはヨガの教えとは一切無関係で、ここに答えがあるわけでもありません。ヨガすることとも関係しません。それでも、身体を使ったヨガのプラクティスがサマディを伝えているというのは本当です。ちょっとめちゃくちゃに聞こえますよね(笑)。これは個人の理解を完全に超えています。というよりも、理解は「個人の解釈」でしかありません。悟りやサマディを手にするために、スピリチュアルワークや、(それを目的とした)瞑想や何らかのアクションを要求されることがあれば要注意ですよ。そこでは覚醒や解放という言葉が使われることもあるかもしれませんが、私が言っているサマディは一切の覚醒や解放とも無関係です。このブログは非公開なのではっきり言ってしまいますが、〇〇すれば救われるなどと言っている宗教も全くおんなじです。宗教に関してはもっとはっきり言えることがありますが、これ以上誤解を招かぬようこの辺でやめておきます。無の境地が訪れるとか、平穏が保たれるというようなことに関しても、刷り込まれた概念です。本来は無も、平穏も、一定もありません。というよりも、それらを知れない。一つ考えてみるべきは、それをなぜ求めているのかということです。それは今が十分ではないからですよね。そのように刷り込まれているということもあるかもしれませんが、いずれも不足感、不安感の影の中にあります。「個人」は満たされることがありません。世の中にはサマディを救いのメッセージと勘違いする人がいます。人生をより良くするための道具にしようとする人もいます。そのように(まるでスピリチュアルの延長にあることのように)伝えている人がいるからです。でもこれはHow toのお話ではありません。サマディは何にも使えません。誰も救いません。「私は悟りを得た」という人は本当にいるし、「ヨガでサマディを達成した」という人も本当にいます。ですが、実際のところそれは「私はアップルパイを手に入れた」ということと一ミリも変わりません。そしてそのような人の中には、悟るための方法、そのような"特別"なメソッドを公開しながら生計を立てている人もいます。悟るための方法なんてありません。そもそも悟りなんてありません。自己の不在について話しています。"誰が"悟るのですか？"誰が"救われるのですか？「自分」というものは幻想です。実際のところ、誰もヨガしていません。「私」がヨガするのではなく、ヨガがただある。もっというと、ヨガともいえないただのそれ、生命の動きです。...そこにそれ以上もそれ以下もなく、それ以外がありえない。...この完璧さ、みなさんの完璧さ、何といえばいいかな。...サマディは自我の消滅といわれることもあります。でも、ここで伝えているのは状態の変化ではありません。消滅も何も最初からないんです。消滅するべき何かなんてあったことがないんです。プラクティスの先にサマディがあるのではなく、ヨガはちょっとした気づきです。仏教でもこれを伝えていますね。お経の中にこのことが書いてあります。般若心経です。ですが、もう皆さんお分かりの通りこれは仏教とも般若心経とも関係しません。誰も生まれていないし、誰も死なない。...「個人」にとってこれは強烈なメッセージかもしれません。そして私は「狂った人」と思われるかもしれません(笑)♩]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-05-16T20:30:15+00:00</published><updated>2026-06-10T22:53:08+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>悟りやサマディと聞くと特別な状態をイメージすると思います。私もそうでした。でも、サマディには何の意味も特別性もありません。これはヨガの教えとは一切無関係で、ここに答えがあるわけでもありません。</p><p><br></p><p>ヨガすることとも関係しません。それでも、身体を使ったヨガのプラクティスがサマディを伝えているというのは本当です。</p><p><br></p><p>ちょっとめちゃくちゃに聞こえますよね(笑)。これは個人の理解を完全に超えています。というよりも、理解は「個人の解釈」でしかありません。</p><p><br></p><p>悟りやサマディを手にするために、スピリチュアルワークや、(それを目的とした)瞑想や何らかのアクションを要求されることがあれば要注意ですよ。そこでは覚醒や解放という言葉が使われることもあるかもしれませんが、私が言っているサマディは一切の覚醒や解放とも無関係です。</p><p><br></p><p>このブログは非公開なのではっきり言ってしまいますが、〇〇すれば救われるなどと言っている宗教も全くおんなじです。</p><p><br></p><p>宗教に関してはもっとはっきり言えることがありますが、これ以上誤解を招かぬようこの辺でやめておきます。</p><p><br></p><p>無の境地が訪れるとか、平穏が保たれるというようなことに関しても、刷り込まれた概念です。本来は無も、平穏も、一定もありません。というよりも、それらを知れない。</p><p><br></p><p>一つ考えてみるべきは、それをなぜ求めているのかということです。それは今が十分ではないからですよね。そのように刷り込まれているということもあるかもしれませんが、いずれも不足感、不安感の影の中にあります。</p><p><br></p><p>「個人」は満たされることがありません。</p><p><br></p><p>世の中にはサマディを救いのメッセージと勘違いする人がいます。人生をより良くするための道具にしようとする人もいます。そのように(まるでスピリチュアルの延長にあることのように)伝えている人がいるからです。</p><p><br></p><p>でもこれはHow toのお話ではありません。</p><p><br></p><p>サマディは何にも使えません。誰も救いません。</p><p><br></p><p>「私は悟りを得た」という人は本当にいるし、「ヨガでサマディを達成した」という人も本当にいます。ですが、実際のところそれは「私はアップルパイを手に入れた」ということと一ミリも変わりません。そしてそのような人の中には、悟るための方法、そのような"特別"なメソッドを公開しながら生計を立てている人もいます。</p><p><br></p><p>悟るための方法なんてありません。そもそも悟りなんてありません。</p><p><br></p><p>自己の不在について話しています。"誰が"悟るのですか？"誰が"救われるのですか？</p><p><br></p><p>「自分」というものは幻想です。</p><p><br></p><p>実際のところ、誰もヨガしていません。</p><p><br></p><p>「私」がヨガするのではなく、ヨガがただある。もっというと、ヨガともいえないただのそれ、生命の動きです。</p><p><br></p><p>...</p><p><br></p><p>そこにそれ以上もそれ以下もなく、それ以外がありえない。</p><p><br></p><p>...</p><p><br></p><p>この完璧さ、みなさんの完璧さ、何といえばいいかな。</p><p><br></p><p>...</p><p><br></p><p>サマディは自我の消滅といわれることもあります。でも、ここで伝えているのは状態の変化ではありません。消滅も何も最初からないんです。消滅するべき何かなんてあったことがないんです。</p><p><br></p><p>プラクティスの先にサマディがあるのではなく、ヨガはちょっとした気づきです。</p><p><br></p><p>仏教でもこれを伝えていますね。お経の中にこのことが書いてあります。般若心経です。</p><p><br></p><p>ですが、もう皆さんお分かりの通りこれは仏教とも般若心経とも関係しません。</p><p><br></p><p>誰も生まれていないし、誰も死なない。</p><p><br></p><p>...</p><p><br></p><p>「個人」にとってこれは強烈なメッセージかもしれません。そして私は「狂った人」と思われるかもしれません(笑)</p><p><br></p><p>♩</p><p><br></p><p><br></p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2026.05.14]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58816936/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58816936</id><summary><![CDATA[今ある多くのヨガは、本来のヨガとはかけ離れています。それがいいとか悪いとかいうことではなく、ただそれだけのことです。私のまわりにはヨガやボディーワーク系のお仕事をしている人が多いですが、私たちは伝えていることがどれだけ違っても、一緒にごはんを食べて、冗談を言い合います♩ヨガに何を求めるかは人それぞれです。健康のため、美容のため、メンタルのため、何でもいいと思います。でも、ヨガは健康体操ではありません。この身体の使い方を通してサマディまで伝えています。奥深いプラクティスゆえに分かりにくい点が多くあると思いますが、じつはヨガはとてもシンプルです。溢れる(ヨガの)情報の中で、その言葉や文字に振り回されてわけがわからなくなっている人もいるかもしれませんが、サマディはそのような情報ではないし、教えではないし、理解することでもありません。身体を使ったヨガのプラクティスがそれを伝えています。次回はサマディについてちょっとだけ書きます♩]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-05-13T16:10:27+00:00</published><updated>2026-06-24T02:54:50+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>今ある多くのヨガは、本来のヨガとはかけ離れています。それがいいとか悪いとかいうことではなく、ただそれだけのことです。私のまわりにはヨガやボディーワーク系のお仕事をしている人が多いですが、私たちは伝えていることがどれだけ違っても、一緒にごはんを食べて、冗談を言い合います♩</p><p><br></p><p>ヨガに何を求めるかは人それぞれです。健康のため、美容のため、メンタルのため、何でもいいと思います。でも、ヨガは健康体操ではありません。</p><p><br></p><p>この身体の使い方を通してサマディまで伝えています。奥深いプラクティスゆえに分かりにくい点が多くあると思いますが、じつはヨガはとてもシンプルです。</p><p><br></p><p>溢れる(ヨガの)情報の中で、その言葉や文字に振り回されてわけがわからなくなっている人もいるかもしれませんが、サマディはそのような情報ではないし、教えではないし、理解することでもありません。</p><p><br></p><p>身体を使ったヨガのプラクティスがそれを伝えています。</p><p><br></p><p>次回はサマディについてちょっとだけ書きます♩</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2026.04.21]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58717292/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58717292</id><summary><![CDATA[あなたと同じことは出来ない、年だから仕方ない。と伝えてくださった方がいます。いつも私が「年は関係ない」と言うからです。言葉が少しぶつかって、後から思うと、もっと違う言い方が出来たよなと、もっと相手の気持ちに寄り添えたよなと反省。それでも、よかったなと思うこともあります。レッスンをしていると、一度に複数の方に伝える場合は特に、一方的になってしまうことがあるからです。・・・♩私のレッスンには、プライベートレッスンを含めると70代と80代の方が6名(夏は8名)いらっしゃいます。ですが、私はその方たちを「年だから仕方ない」と一瞬でも思ったことがありません。ヨガの中に成し遂げなければならないことはひとつもありません。ですが、ヨガは(パワフルだからこそ)正しく扱わなければ逆効果になることがあります。「ヨガ」を伝えていながら、ヨガしているときに起きる身体の痛みや、ヨガがきっかけで身体が痛くなったという方に対して、「じゃあ次からは無理しないでくださいね」と言ってやり過ごすようなことはしたくないんです(ただしwelcomeな痛みというものもありますよ)。長くヨガをしていると怪我の話をよく聞きます。バックベンドで腰を痛めたという方は私のまわりでもかなり多いです。ですが、それは年のせいではないですよ。もちろん、20代と70代では身体が違うことはよくわかります。たくさんの人にヨガが伝わればいいなと思いますが、私は少数の方に最後までちゃんと伝えたい。ヨガは我慢しながら耐えながらやるものではありません。あらゆるエクササイズや流行りのピラティス、筋トレやストレッチなどとここでの身体の使い方の違いをしつこく煽っていますが、究極にはヨガもピラティスも健康体操もおんなじです。自分を大事にすることです。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-04-20T15:50:39+00:00</published><updated>2026-06-24T02:56:35+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>あなたと同じことは出来ない、年だから仕方ない。と伝えてくださった方がいます。</p><p><br></p><p>いつも私が「年は関係ない」と言うからです。</p><p><br></p><p>言葉が少しぶつかって、後から思うと、もっと違う言い方が出来たよなと、もっと相手の気持ちに寄り添えたよなと反省。</p><p><br></p><p>それでも、よかったなと思うこともあります。レッスンをしていると、一度に複数の方に伝える場合は特に、一方的になってしまうことがあるからです。</p><p><br></p><p>・・・♩</p><p><br></p><p>私のレッスンには、プライベートレッスンを含めると70代と80代の方が6名(夏は8名)いらっしゃいます。ですが、私はその方たちを「年だから仕方ない」と一瞬でも思ったことがありません。</p><p><br></p><p>ヨガの中に成し遂げなければならないことはひとつもありません。ですが、ヨガは(パワフルだからこそ)正しく扱わなければ逆効果になることがあります。</p><p><br></p><p>「ヨガ」を伝えていながら、ヨガしているときに起きる身体の痛みや、ヨガがきっかけで身体が痛くなったという方に対して、「じゃあ次からは無理しないでくださいね」と言ってやり過ごすようなことはしたくないんです(ただしwelcomeな痛みというものもありますよ)。</p><p><br></p><p>長くヨガをしていると怪我の話をよく聞きます。バックベンドで腰を痛めたという方は私のまわりでもかなり多いです。ですが、それは年のせいではないですよ。</p><p><br></p><p>もちろん、20代と70代では身体が違うことはよくわかります。</p><p><br></p><p>たくさんの人にヨガが伝わればいいなと思いますが、私は少数の方に最後までちゃんと伝えたい。</p><p><br></p><p>ヨガは我慢しながら耐えながらやるものではありません。あらゆるエクササイズや流行りのピラティス、筋トレやストレッチなどとここでの身体の使い方の違いをしつこく煽っていますが、究極にはヨガもピラティスも健康体操もおんなじです。自分を大事にすることです。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2026.04.02]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58701669/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58701669</id><summary><![CDATA[「ホース🐴」やこの辺のバリエーションのポーズは、力の質が変わりやすいですよね。中の動き(火を起こし続けていますね)が弱くなると身体が際立ちます。身体が際立つときは、全身で頑張ってしまっているときです。ここで無駄な力がうまれる理由は後ほどクラスで説明しますが、もし長くプラクティスを続けているのに左右の足裏の感覚が大きく違うという方がいましたら声をかけてくださいね♩外の力に耐えるような身体の使い方は確実に感覚を鈍らせます。これ以上は書きませんが、多くの方がもともと持っている力を無駄にしています。本来分ける必要もないヨガがこれだけ色分けされていて、私もこれをあえてYin Yogaとしている理由は、ここにあります。Yinとは中のことです。私は普段ヨガ用語はほとんど使いませんが(今はあまりしっくりこなくなってしまいました)、例えばヨガの書籍に必ず出てくる「ナディ」は外側からはアプローチ出来ないものです。現代ヨガは本来のヨガとはかけ離れています。どれだけヨガの知識を持っていようと、それすら外側なのですよね。言葉で伝わることはほんの僅かです。プラクティスの中で、いずれ言葉は不要になります。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-04-01T20:05:43+00:00</published><updated>2026-06-24T02:59:10+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>「ホース🐴」やこの辺のバリエーションのポーズは、力の質が変わりやすいですよね。中の動き(火を起こし続けていますね)が弱くなると身体が際立ちます。身体が際立つときは、全身で頑張ってしまっているときです。</p><p><br></p><p>ここで無駄な力がうまれる理由は後ほどクラスで説明しますが、もし長くプラクティスを続けているのに左右の足裏の感覚が大きく違うという方がいましたら声をかけてくださいね♩</p><p><br></p><p>外の力に耐えるような身体の使い方は確実に感覚を鈍らせます。これ以上は書きませんが、多くの方がもともと持っている力を無駄にしています。</p><p><br></p><p>本来分ける必要もないヨガがこれだけ色分けされていて、私もこれをあえてYin Yogaとしている理由は、ここにあります。Yinとは中のことです。私は普段ヨガ用語はほとんど使いませんが(今はあまりしっくりこなくなってしまいました)、例えばヨガの書籍に必ず出てくる「ナディ」は外側からはアプローチ出来ないものです。現代ヨガは本来のヨガとはかけ離れています。どれだけヨガの知識を持っていようと、それすら外側なのですよね。</p><p><br></p><p>言葉で伝わることはほんの僅かです。プラクティスの中で、いずれ言葉は不要になります。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2026.03.31]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58696032/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58696032</id><summary><![CDATA[「肋骨が浮く」という表現をすることがありますが、新しいことをしているわけではなく、いつものスペースのことです。このスペースは、自分以外の人にも何かをしてあげられるような「余裕さ」に繋がります。ですので、やっぱりまずは自分なんですね。やさしさに溢れていて、自分を後回しにしてでも人助けをされているような方が私のまわりにはたくさんいますが、身体はしっかり消耗します。自分を削りすぎないようにしてくださいね。余った力で、必要な時に、必要な人に、それが自然に出来るように。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-03-31T07:30:01+00:00</published><updated>2026-06-24T02:59:54+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>「肋骨が浮く」という表現をすることがありますが、新しいことをしているわけではなく、いつものスペースのことです。</p><p><br></p><p>このスペースは、自分以外の人にも何かをしてあげられるような「余裕さ」に繋がります。ですので、やっぱりまずは自分なんですね。</p><p><br></p><p>やさしさに溢れていて、自分を後回しにしてでも人助けをされているような方が私のまわりにはたくさんいますが、身体はしっかり消耗します。</p><p><br></p><p>自分を削りすぎないようにしてくださいね。</p><p><br></p><p>余った力で、必要な時に、必要な人に、それが自然に出来るように。</p><p><br></p><p><br></p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2026.03.18]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58648525/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58648525</id><summary><![CDATA[ほんとうに大事なことはニュースにならない。表にはなかなか出て来ません。例えネットと繋がっていても、自ら取りにいかなければそのサインには気づきません。そして多くの人が気づく頃には、もう遅かったりします。・・・私が自信を持ってヨガを伝えられている理由は、みなさんからたくさんの変化を見させていただいているからだと思います。誰もが持っている本当の強さは、隠されていて見えにくいもの。多くの人はそれに気づかずに、または使い方が分からずに別の力で誤魔化しています。でも、隠れていた力が動き出すときははっきりと分かります。パワフルさが違うからです♩座り方、立ち方、転び方などの身体の使い方は、本来は大人がしっかりと子どもに教えるべきなんですよね。学校ではそのために身体教育(体育)の時間があるわけですから。ですが、現実はそれを教えられる大人がそこにいないだけではなく、むしろ子供を弱くさせるような身体の使い方、座り方が教えられてしまっています。大人が気づいていない。大人が知らないのです。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-03-17T19:30:03+00:00</published><updated>2026-06-24T03:01:05+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>ほんとうに大事なことはニュースにならない。表にはなかなか出て来ません。例えネットと繋がっていても、自ら取りにいかなければそのサインには気づきません。そして多くの人が気づく頃には、もう遅かったりします。</p><p><br></p><p>・・・</p><p><br></p><p>私が自信を持ってヨガを伝えられている理由は、みなさんからたくさんの変化を見させていただいているからだと思います。</p><p><br></p><p>誰もが持っている本当の強さは、隠されていて見えにくいもの。多くの人はそれに気づかずに、または使い方が分からずに別の力で誤魔化しています。</p><p><br></p><p>でも、隠れていた力が動き出すときははっきりと分かります。パワフルさが違うからです♩</p><p><br></p><p>座り方、立ち方、転び方などの身体の使い方は、本来は大人がしっかりと子どもに教えるべきなんですよね。学校ではそのために身体教育(体育)の時間があるわけですから。ですが、現実はそれを教えられる大人がそこにいないだけではなく、むしろ子供を弱くさせるような身体の使い方、座り方が教えられてしまっています。</p><p><br></p><p>大人が気づいていない。大人が知らないのです。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2026.03.05]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58603286/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58603286</id><summary><![CDATA[バックラインを収縮させてフロントラインを伸ばす、これが一般的なエクササイズの身体の使い方です。ヨガはどちらも同時に開くことをしています。使っている力が違います。どんなときも〇〇は落ちることがなく、〇〇は必ず下を向きます。私たちが最も力を維持し発揮出来る微妙な位置です。たったひとつの呼吸でこれを可能にします。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-03-04T22:25:23+00:00</published><updated>2026-06-24T03:01:19+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>バックラインを収縮させてフロントラインを伸ばす、これが一般的なエクササイズの身体の使い方です。</p><p><br></p><p>ヨガはどちらも同時に開くことをしています。使っている力が違います。</p><p><br></p><p>どんなときも〇〇は落ちることがなく、〇〇は必ず下を向きます。私たちが最も力を維持し発揮出来る微妙な位置です。</p><p><br></p><p>たったひとつの呼吸でこれを可能にします。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2026.03.03]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58600811/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58600811</id><summary><![CDATA[ヨガは手足の運動をしているのではありません。ただ手足を動かすだけであれば、こんなに時間をかけて、わざわざこんなヨガのポーズは使わない方がいいくらいです。ただ身体を動かすだけでは深いリラックスはやってこないし、怪我の心配を常にしなければならないからです。もちろん伝える側としては、怪我に繋がらないよう常に注意をはらいます。それでも言葉が足らず怪我に繋がってしまうことは起きるかもしれないし、身体が置き去りになっていればなおさらです。意識の向くところにエネルギーが動きます。ただ手足が動けばいいのではなく、使えなければ意味がないですよね。大事なのは感じることです。ヨガしているとき、手のひらや足の裏の感覚があります。身体のある部分に広がりを感じたり、または窮屈さを感じたりします。例えばテレビを見ているときには「見る」があります。このときこれ以外は不可能です。ですから、テレビを見ながらヨガすることは不可能です(♩)ここまで大きく広がったヨガの世界には、当然ながら色々な要素が入り込んでいます。ですが、本来のヨガはシンプルです。きわめてシンプルで、ダイレクトです。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-03-03T04:29:17+00:00</published><updated>2026-06-18T07:12:18+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>ヨガは手足の運動をしているのではありません。ただ手足を動かすだけであれば、こんなに時間をかけて、わざわざこんなヨガのポーズは使わない方がいいくらいです。ただ身体を動かすだけでは深いリラックスはやってこないし、怪我の心配を常にしなければならないからです。</p><p><br></p><p>もちろん伝える側としては、怪我に繋がらないよう常に注意をはらいます。それでも言葉が足らず怪我に繋がってしまうことは起きるかもしれないし、身体が置き去りになっていればなおさらです。</p><p><br></p><p>意識の向くところにエネルギーが動きます。ただ手足が動けばいいのではなく、使えなければ意味がないですよね。</p><p><br></p><p>大事なのは感じることです。ヨガしているとき、手のひらや足の裏の感覚があります。身体のある部分に広がりを感じたり、または窮屈さを感じたりします。</p><p><br></p><p>例えばテレビを見ているときには「見る」があります。このときこれ以外は不可能です。ですから、テレビを見ながらヨガすることは不可能です(♩)</p><p><br></p><p>ここまで大きく広がったヨガの世界には、当然ながら色々な要素が入り込んでいます。ですが、本来のヨガはシンプルです。きわめてシンプルで、ダイレクトです。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2026.02.16]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58545939/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58545939</id><summary><![CDATA[現代生活の中で染みついてしまった身体の使い方、その感覚を塗り替えていくのはとても時間がかかることだと思います。「ヨガにそこまで求めていないよ」と思われる方もいるかもしれませんが、私は体操のインストラクターではないし、筋トレのトレーナーでもありません。身体の広がりは痛みに耐えた先にあるのではなく、必要なのは耐えながら補強することではなく、スペースを作ることです。それを可能にする身体の使い方をずっと伝えていますが、身体が置き去りになっている場合、それはただの情報として流れていきます。Yin Yogaは100分の間ポーズを繰り返します。もし形だけでこれを維持することをし続けるなら逆効果です。大事なのはどれだけ量をやるかではないんですね。もともと言葉にはならないものを扱う世界ですので、ここには伝わりにくく分かりにくいことが多く存在すると思います。このようなことも関係してヨガはどんどんエクササイズ的になって、「無理せずに・・・」が枕詞になっていますが、本来はそうではないんですね。これについては後ほどクラスで説明します。(身体の痛みに関しては他に理由がある場合もあります。他の方法が適切な場合もあります)]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-02-15T19:55:23+00:00</published><updated>2026-06-24T03:03:12+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>現代生活の中で染みついてしまった身体の使い方、その感覚を塗り替えていくのはとても時間がかかることだと思います。</p><p><br></p><p>「ヨガにそこまで求めていないよ」と思われる方もいるかもしれませんが、私は体操のインストラクターではないし、筋トレのトレーナーでもありません。</p><p><br></p><p>身体の広がりは痛みに耐えた先にあるのではなく、</p><p><br></p><p>必要なのは耐えながら補強することではなく、スペースを作ることです。それを可能にする身体の使い方をずっと伝えていますが、身体が置き去りになっている場合、それはただの情報として流れていきます。</p><p><br></p><p>Yin Yogaは100分の間ポーズを繰り返します。もし形だけでこれを維持することをし続けるなら逆効果です。大事なのはどれだけ量をやるかではないんですね。</p><p><br></p><p>もともと言葉にはならないものを扱う世界ですので、ここには伝わりにくく分かりにくいことが多く存在すると思います。このようなことも関係してヨガはどんどんエクササイズ的になって、「無理せずに・・・」が枕詞になっていますが、本来はそうではないんですね。これについては後ほどクラスで説明します。</p><p><br></p><p>(身体の痛みに関しては他に理由がある場合もあります。他の方法が適切な場合もあります)</p><p><br></p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2026.02.07]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58523101/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58523101</id><summary><![CDATA[修行の世界では「何年も必死に耐えた先に答えが・・・」というように言われることがありますよね。ヨガでも「痛みを超えた先に広がりがある」というようなことを言う人もいます。ですが、もし感覚を研いでいこうとしているのなら、それは逆効果です。我慢して耐えてしまうと感覚を鈍らせます。これは試してみればすぐに分かりますよ。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-02-07T05:37:19+00:00</published><updated>2026-06-24T03:03:26+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>修行の世界では「何年も必死に耐えた先に答えが・・・」というように言われることがありますよね。ヨガでも「痛みを超えた先に広がりがある」というようなことを言う人もいます。</p><p><br></p><p>ですが、もし感覚を研いでいこうとしているのなら、それは逆効果です。</p><p><br></p><p>我慢して耐えてしまうと感覚を鈍らせます。これは試してみればすぐに分かりますよ。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[思考の動き]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58492733/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58492733</id><summary><![CDATA[身体を根底から使い直すことが思考にどう作用するのか、作用しないのか。どう変わっていくのか、または変わらないのか。たくさん自分を責めていたり、「どうせ私なんか」と落ち込むことがありますか？身体はしっかり反応しています。Yin Yogaのポーズはとても静かでダイナミックです。試してみてください(どんなときも前半に必ずやる三つのポーズがあります)。その(エネルギーの動きを維持した)身体で、自分を責め続けたり「どうせ私なんか」とはなりにくいものです。・・・ですが、実際のところ思考はどうにもなりません。あ、今日も矛盾を書いています(笑)どうにかしようとするのも思考で、既に起きたこと(思考)は変えられません。ただ、そこにどのような思考の動きがあろうと、どんなに落ち込もうと、それが一つも問題ではない。深刻ではないんです。思考も、感情も、身体の感覚も、全てひとつの完璧な生命の動きです。生命の動きはコントロール不可です。コントロール不可のものをコントロールしようとすれば、そこには当然苦しみが生まれます。例えばもし「私はそれをコントロール出来ている！」と思うのなら、幻想です。それも完璧なただの思考です。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-01-28T20:35:01+00:00</published><updated>2026-06-24T03:07:05+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>身体を根底から使い直すことが思考にどう作用するのか、作用しないのか。どう変わっていくのか、または変わらないのか。</p><p><br></p><p>たくさん自分を責めていたり、「どうせ私なんか」と落ち込むことがありますか？</p><p><br></p><p>身体はしっかり反応しています。</p><p><br></p><p>Yin Yogaのポーズはとても静かでダイナミックです。試してみてください(どんなときも前半に必ずやる三つのポーズがあります)。その(エネルギーの動きを維持した)身体で、自分を責め続けたり「どうせ私なんか」とはなりにくいものです。</p><p><br></p><p>・・・ですが、実際のところ思考はどうにもなりません。あ、今日も矛盾を書いています(笑)</p><p><br></p><p>どうにかしようとするのも思考で、既に起きたこと(思考)は変えられません。ただ、そこにどのような思考の動きがあろうと、どんなに落ち込もうと、それが一つも問題ではない。深刻ではないんです。</p><p><br></p><p>思考も、感情も、身体の感覚も、全てひとつの完璧な生命の動きです。</p><p><br></p><p>生命の動きはコントロール不可です。コントロール不可のものをコントロールしようとすれば、そこには当然苦しみが生まれます。例えばもし「私はそれをコントロール出来ている！」と思うのなら、幻想です。それも完璧なただの思考です。</p><p><br></p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[根底のちから]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58486491/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58486491</id><summary><![CDATA[風船で例えることがよくあります。自由に飛んで動く。手離したらもっと自由かというとそうではなく、手を離してしまえば流されます。掴んでいるから自由でいられるのですよね。火を起こすことや、風車や水車に例えることも出来ます。ある程度燃えてくれれば、ある程度動いてくれればあとは小さな力で維持するだけですが、燃えはじめるまで、動きはじめるまでに大きなパワーが必要になります。もしこれが何年も使っていなかったような、何十年も動かしていなかったようなものならなおさらです。これをしているのがYin Yogaの呼吸です。形から離れるというのは、手離すということとは違います。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-01-27T04:24:44+00:00</published><updated>2026-06-24T03:07:25+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>風船で例えることがよくあります。</p><p><br></p><p>自由に飛んで動く。手離したらもっと自由かというとそうではなく、手を離してしまえば流されます。掴んでいるから自由でいられるのですよね。</p><p><br></p><p>火を起こすことや、風車や水車に例えることも出来ます。ある程度燃えてくれれば、ある程度動いてくれればあとは小さな力で維持するだけですが、燃えはじめるまで、動きはじめるまでに大きなパワーが必要になります。</p><p><br></p><p>もしこれが何年も使っていなかったような、何十年も動かしていなかったようなものならなおさらです。</p><p><br></p><p>これをしているのがYin Yogaの呼吸です。</p><p><br></p><p>形から離れるというのは、手離すということとは違います。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2026.01.14]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58407217/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58407217</id><summary><![CDATA[グループレッスンでは私が行っているプラクティスのやり方と同様に数か月かけてひとつのテーマを行っていきます。一定期間同じポーズの繰り返しになることがありますが、じつは私はプラクティスをしていても、レッスンをしていても、同じことをしているつもりがないんですね。ですが、じゃあ違うことをしているのかというと、そうでもありません。。お話会でも伝えることがありますが、いつも通りというものはなく、毎瞬新しい。だから、本当は「毎瞬」なんていう言葉はウソで、毎瞬なんてものはないくらい、それくらい新しい。新しいということに気づくことも出来ないくらい(実際にそれは不可能です)、新しい(ややこしくなってきました笑)たった一回の体験レッスンで理解出来ることはわずかです。そこで見えているのは表面の浅い部分だけです。こんなことを言うと嫌な気分にさせてしまうかもしれませんが、「簡単にわかると思わないでほしい」と言いたいわけではありません。「継続するつもりはないけれど一度だけ試してみたい」という方がもし来られたとしても、私はその方のプラクティスがそこでずーっと続くものだと思ってレッスンします。次も来てくれるだろうと思っているのではなく、そうとしか出来ないからです。ヨガとはそういうものです。一回で完結するようなものではない。でも、既にみんな完成しています。「だからヨガは続けることが大事なんです」と言いたいのではありません。私がヨガを伝え続ける理由は、この伝えたいことが言葉に出来ないからです。こんなにも明らかなのに、それを指す言葉がないからです。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-01-14T08:10:26+00:00</published><updated>2026-06-24T03:08:37+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>グループレッスンでは私が行っているプラクティスのやり方と同様に数か月かけてひとつのテーマを行っていきます。</p><p><br></p><p>一定期間同じポーズの繰り返しになることがありますが、じつは私はプラクティスをしていても、レッスンをしていても、同じことをしているつもりがないんですね。ですが、じゃあ違うことをしているのかというと、そうでもありません。。</p><p><br></p><p>お話会でも伝えることがありますが、いつも通りというものはなく、毎瞬新しい。だから、本当は「毎瞬」なんていう言葉はウソで、毎瞬なんてものはないくらい、それくらい新しい。新しいということに気づくことも出来ないくらい(実際にそれは不可能です)、新しい(ややこしくなってきました笑)</p><p><br></p><p>たった一回の体験レッスンで理解出来ることはわずかです。そこで見えているのは表面の浅い部分だけです。こんなことを言うと嫌な気分にさせてしまうかもしれませんが、「簡単にわかると思わないでほしい」と言いたいわけではありません。</p><p><br></p><p>「継続するつもりはないけれど一度だけ試してみたい」という方がもし来られたとしても、私はその方のプラクティスがそこでずーっと続くものだと思ってレッスンします。次も来てくれるだろうと思っているのではなく、そうとしか出来ないからです。</p><p><br></p><p>ヨガとはそういうものです。一回で完結するようなものではない。でも、既にみんな完成しています。</p><p><br></p><p>「だからヨガは続けることが大事なんです」と言いたいのではありません。私がヨガを伝え続ける理由は、この伝えたいことが言葉に出来ないからです。こんなにも明らかなのに、それを指す言葉がないからです。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2026.01.13]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58416808/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58416808</id><summary><![CDATA[「ヨガは修行僧が修行のために行うものだった」という記録がありますが、もしそうであるとするなら、それは決して楽なものではないはずですよね。苦行である必要はないですが、現代人の私たちが本当にヨガのプラクティスをしようと思ったら、それは簡単なものではないと思います。少なくとも最初のプラクティスで、「癒されたー」とか「気持ちよかったー」と言えるものではないです。それが間違っていると言いたいのではなく、いまある多くのヨガは本来のヨガとはかけ離れているということです。本当の気持ちよさ、本当のリラックス、満ち足りる呼吸とは、もっと深いものです。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2026-01-13T05:12:18+00:00</published><updated>2026-06-24T03:08:48+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>「ヨガは修行僧が修行のために行うものだった」という記録がありますが、もしそうであるとするなら、それは決して楽なものではないはずですよね。</p><p><br></p><p>苦行である必要はないですが、現代人の私たちが本当にヨガのプラクティスをしようと思ったら、それは簡単なものではないと思います。</p><p><br></p><p>少なくとも最初のプラクティスで、「癒されたー」とか「気持ちよかったー」と言えるものではないです。</p><p><br></p><p>それが間違っていると言いたいのではなく、いまある多くのヨガは本来のヨガとはかけ離れているということです。</p><p><br></p><p>本当の気持ちよさ、本当のリラックス、満ち足りる呼吸とは、もっと深いものです。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2025.12.27]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58330712/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58330712</id><summary><![CDATA[十代後半まで武術を学び、その後すぐにアシュタンガヨガに出会いました。しばらくして腰椎のトラブルをきっかけに陰ヨガに出会い、これらの出会いは私にとって大きなものでした。いくつものポーズは、全く違うことをしているようで常に同じひとつのことをしています。そこに何があって(なくて)、何が起きているのか(起きていないのか)というところの再現は、形だけでは不可能です。ここまで深いプラクティスを一緒にする誰かがいることが、私の大きな喜びです。今年もたくさんレッスンを受けてくださってどうもありがとうございました。みなさまよいお年をお迎えください♩]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2025-12-27T07:50:10+00:00</published><updated>2026-06-24T03:09:02+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>十代後半まで武術を学び、その後すぐにアシュタンガヨガに出会いました。しばらくして腰椎のトラブルをきっかけに陰ヨガに出会い、これらの出会いは私にとって大きなものでした。</p><p><br></p><p>いくつものポーズは、全く違うことをしているようで常に同じひとつのことをしています。そこに何があって(なくて)、何が起きているのか(起きていないのか)というところの再現は、形だけでは不可能です。</p><p><br></p><p>ここまで深いプラクティスを一緒にする誰かがいることが、私の大きな喜びです。今年もたくさんレッスンを受けてくださってどうもありがとうございました。みなさまよいお年をお迎えください♩</p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2025.12.07]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58182423/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58182423</id><summary><![CDATA[ヨガは超人的な身体能力や覚醒を目指すことをしているのではなく、ほんの小さな気づきです。それは、この動きがもともとは私たちの日常のなかに土台としてあった動きだということだったり、何かを達成しなければ得られないという思い込みの中で行うサマディに対するすべての行動がそれを遮っているということだったり。誤解を恐れずに書いていますが、「ヨガ」が形式化されている時点でそれはもうヨガではないわけですね。それでも、これを伝えていくためには表面的な「カタチ」も必要になります。それが「教え」であったり、「ポーズや瞑想」であったり、それを伝えるための「言葉や文字」です。ですが、言葉や文字がそれそのものを指すことは不可能で、このようなことには誤解がつきものです。ヨガ＝自然です。ヨガ＝私たちの身体のことであり、私たち自身のことでもあります。 それなのに(だからこそ)、ヨガ、そしてサマディを求めれば求めるほど、そこでやることすべてがその邪魔になります。これはパラドックスです。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2025-12-06T19:25:09+00:00</published><updated>2026-06-24T03:09:42+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>ヨガは超人的な身体能力や覚醒を目指すことをしているのではなく、ほんの小さな気づきです。それは、この動きがもともとは私たちの日常のなかに土台としてあった動きだということだったり、何かを達成しなければ得られないという思い込みの中で行うサマディに対するすべての行動がそれを遮っているということだったり。</p><p><br></p><p>誤解を恐れずに書いていますが、「ヨガ」が形式化されている時点でそれはもうヨガではないわけですね。それでも、これを伝えていくためには表面的な「カタチ」も必要になります。それが「教え」であったり、「ポーズや瞑想」であったり、それを伝えるための「言葉や文字」です。ですが、言葉や文字がそれそのものを指すことは不可能で、このようなことには誤解がつきものです。</p><p><br></p><p>ヨガ＝自然です。ヨガ＝私たちの身体のことであり、私たち自身のことでもあります。</p><p><br></p><p>&nbsp;それなのに(だからこそ)、ヨガ、そしてサマディを求めれば求めるほど、そこでやることすべてがその邪魔になります。</p><p><br></p><p>これはパラドックスです。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[サマディ]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58113117/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58113117</id><summary><![CDATA[サマディは、何かを達成することや、場所や、特別な状態を手にすることとは一切無関係です。今ではないどこかに必死に向かおうとすることこそが、今この瞬間、足元に咲いている花を踏みつけているということに多くの人は気づきません。自由は不自由のなかに、しあわせは不幸の中に、信じることは疑うことの中にあります。究極には、「いま」も「瞬間」もありません。上下、優劣が存在しません。時間が存在しません。もうお気づきの方もいると思いますが、ヨガの八つのステップの最終段階にあるとされているサマディ。外からは段階に見えていますが、実際には段階などありません。シンプルゆえに奥深く、ヨガの世界にはいっけんするとわけの分からないようなことが存在します。だからこそ、ヨガは多くの人によって様々に解釈され、特にサマディ(悟り、完全なる調和、自己の不在)に関しては、スピリチュアルの延長上の陶酔のなかで作り出されていたりもするくらい、要するに、このただのシンプルなことに余計な色がつけ足されて、全く色味が違うものになっているものが多く存在しているということです。サマディは生き方でも知識でもありません。サマディを "自分” のものには出来ないし、サマディは ”誰” のものにもなりません。 これは、丸めたヨガマットのなか、飲み終わったマグカップのなか、脱ぎ捨てた靴下のなか、そこら中にあるただそのままのことです。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2025-11-25T04:30:47+00:00</published><updated>2026-06-24T03:09:59+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>サマディは、何かを達成することや、場所や、特別な状態を手にすることとは一切無関係です。</p><p><br></p><p>今ではないどこかに必死に向かおうとすることこそが、今この瞬間、足元に咲いている花を踏みつけているということに多くの人は気づきません。</p><p><br></p><p>自由は不自由のなかに、しあわせは不幸の中に、信じることは疑うことの中にあります。</p><p><br></p><p>究極には、「いま」も「瞬間」もありません。</p><p><br></p><p>上下、優劣が存在しません。時間が存在しません。</p><p><br></p><p>もうお気づきの方もいると思いますが、ヨガの八つのステップの最終段階にあるとされているサマディ。外からは段階に見えていますが、実際には段階などありません。</p><p><br></p><p>シンプルゆえに奥深く、ヨガの世界にはいっけんするとわけの分からないようなことが存在します。</p><p><br></p><p>だからこそ、ヨガは多くの人によって様々に解釈され、特にサマディ(悟り、完全なる調和、自己の不在)に関しては、スピリチュアルの延長上の陶酔のなかで作り出されていたりもするくらい、要するに、このただのシンプルなことに余計な色がつけ足されて、全く色味が違うものになっているものが多く存在しているということです。</p><p><br></p><p>サマディは生き方でも知識でもありません。サマディを "自分” のものには出来ないし、サマディは ”誰” のものにもなりません。</p><p><br></p><p>&nbsp;これは、丸めたヨガマットのなか、飲み終わったマグカップのなか、脱ぎ捨てた靴下のなか、そこら中にあるただそのままのことです。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2025.11.20]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58038704/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58038704</id><summary><![CDATA[どのようなポーズであっても中でやっていることはたったひとつです。非常にシンプルで、ですので、私にとってヨガをしていてポーズごとに腕や足の使い方が変わるということはあり得ません。あるポーズに関して「膝を伸ばすと教えられてきて何年もそうしてきた」と伝えてくださった方がいました。ヨガの伝統を守り、教えをそのままに伝承していくことを大事にされているとするなら、ヨガが本当に伝えているのはそのような表面的なことだけではありません。ポーズが伝承されてきたのではなく(ポーズはあとから付け足されたものです)、ポーズはあくまでも道具です。身体の中の動きを通した完全なる調和、自己の不在、目には見えないものを伝えるためのひとつの方法であり、方便です。ヨガは究極のシンプルです。ポーズは固定されているものではなく、中の動きが外に表れたものがポーズです。本当にヨガのプラクティスがされるのなら、最終的には必ず形から離れていきます。この文字や言葉ですら表面です。実際にはここには何の意味も特別性もありません。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2025-11-19T20:35:02+00:00</published><updated>2026-06-24T03:10:23+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>どのようなポーズであっても中でやっていることはたったひとつです。非常にシンプルで、ですので、私にとってヨガをしていてポーズごとに腕や足の使い方が変わるということはあり得ません。</p><p><br></p><p>あるポーズに関して「膝を伸ばすと教えられてきて何年もそうしてきた」と伝えてくださった方がいました。</p><p><br></p><p>ヨガの伝統を守り、教えをそのままに伝承していくことを大事にされているとするなら、ヨガが本当に伝えているのはそのような表面的なことだけではありません。ポーズが伝承されてきたのではなく(ポーズはあとから付け足されたものです)、ポーズはあくまでも道具です。身体の中の動きを通した完全なる調和、自己の不在、目には見えないものを伝えるためのひとつの方法であり、方便です。</p><p><br></p><p>ヨガは究極のシンプルです。</p><p><br></p><p>ポーズは固定されているものではなく、中の動きが外に表れたものがポーズです。本当にヨガのプラクティスがされるのなら、最終的には必ず形から離れていきます。</p><p><br></p><p>この文字や言葉ですら表面です。実際にはここには何の意味も特別性もありません。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[個別レッスン]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/58070717/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/58070717</id><summary><![CDATA[武術をされている方に対しては、座ること、立つこと、これらが本当に可能になるときに技がどのように変化するかをお伝えしています。グループレッスンでは、これまで私がしてきて、これからも私がしていきたいと思うことをお伝えしています。いっけんするとヨガと武術で全く違うことをしているように見えるかもしれませんが、ここで伝えている身体の使い方はたったひとつです。ヨガと武術に共通することは、どちらも作られた動きをしていないということです。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2025-11-10T20:05:34+00:00</published><updated>2026-06-24T03:10:38+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>武術をされている方に対しては、座ること、立つこと、これらが本当に可能になるときに技がどのように変化するかをお伝えしています。</p><p><br></p><p>グループレッスンでは、これまで私がしてきて、これからも私がしていきたいと思うことをお伝えしています。</p><p><br></p><p>いっけんするとヨガと武術で全く違うことをしているように見えるかもしれませんが、ここで伝えている身体の使い方はたったひとつです。ヨガと武術に共通することは、どちらも作られた動きをしていないということです。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2025.10.13]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/57827952/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/57827952</id><summary><![CDATA[以前、瞑想か何かに関する質問の中に「なかなか無になれません。」というものがありました。じつはこれ、当然なんですね。なぜなら、そこに「無」になろうとしている個人(主体)があり続ける限りそれはどこまでいっても「有」だからです。・・・自己の不在については、月に一度のQ＆Aの時間でシェアしています。今月は28㈫、レッスン終了後の11:50からです♩それから、以前のウェブサイトですが、問題は無事解決しましたがクローズすることにしました。以前から小さな問題が起きていたことと、管理してくれていた方に任せきりで私一人では何も出来なくなっていたからです。今回の問題に関しても管理人の友人にはたくさんの時間を使わせてしまいました。ブログに関してはこのAmeba Owndでしばらく続けていきます。スケジュールやお知らせはラインでも確認していただけます✏]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2025-10-13T04:48:18+00:00</published><updated>2026-06-18T07:27:07+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>以前、瞑想か何かに関する質問の中に「なかなか無になれません。」というものがありました。じつはこれ、当然なんですね。</p><p><br></p><p>なぜなら、そこに「無」になろうとしている個人(主体)があり続ける限りそれはどこまでいっても「有」だからです。</p><p><br></p><p>・・・</p><p><br></p><p>自己の不在については、月に一度のQ＆Aの時間でシェアしています。今月は28㈫、レッスン終了後の11:50からです♩</p><p><br></p><p>それから、以前のウェブサイトですが、問題は無事解決しましたがクローズすることにしました。以前から小さな問題が起きていたことと、管理してくれていた方に任せきりで私一人では何も出来なくなっていたからです。今回の問題に関しても管理人の友人にはたくさんの時間を使わせてしまいました。</p><p><br></p><p>ブログに関してはこのAmeba Owndでしばらく続けていきます。スケジュールやお知らせはラインでも確認していただけます✏</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2025.09.25]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/57452382/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/57452382</id><summary><![CDATA[私は言葉をあまり信用しません(こんな風に書くと人間不信に陥ってると思われるかもしれませんが、言葉に重心を置いていないだけで、実際には信用するもしないもどちらもなく、言葉がどうでもいいと言いたいいわけではないし、言葉を真剣に聞かないという意味でもありません)私たちが嘘をつくときには左の瞳が揺れます。喜びに満ちているとき、落ち込んでいるとき、不安でいっぱいな時にも身体にサインが表れます。身体はごまかせません。私たちが「嬉しい」とか「イヤだ」と思う時、言葉にするよりも前に既に身体がそうなっています。うつ病や心の病気と診断される方が年々増えていますが、一つだけ断言できることがあります。それは、脳にアプローチする薬よりも、もっと、実は身体を使うことの方がずっと大事だということ。激しい運動である必要はなく(もちろんそれでもいいんですよ♩)、身体を根底から使い直すことが大事なんです。]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2025-09-25T04:53:23+00:00</published><updated>2026-06-24T03:12:08+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>私は言葉をあまり信用しません(こんな風に書くと人間不信に陥ってると思われるかもしれませんが、言葉に重心を置いていないだけで、実際には信用するもしないもどちらもなく、言葉がどうでもいいと言いたいいわけではないし、言葉を真剣に聞かないという意味でもありません)</p><p><br></p><p>私たちが嘘をつくときには左の瞳が揺れます。喜びに満ちているとき、落ち込んでいるとき、不安でいっぱいな時にも身体にサインが表れます。</p><p><br></p><p>身体はごまかせません。私たちが「嬉しい」とか「イヤだ」と思う時、言葉にするよりも前に既に身体がそうなっています。</p><p><br></p><p>うつ病や心の病気と診断される方が年々増えていますが、一つだけ断言できることがあります。それは、脳にアプローチする薬よりも、もっと、実は身体を使うことの方がずっと大事だということ。激しい運動である必要はなく(もちろんそれでもいいんですよ♩)、身体を根底から使い直すことが大事なんです。</p><p><br></p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2025.09.01]]></title><link rel="alternate" href="https://www.cuna.blog/posts/57362582/"></link><id>https://www.cuna.blog/posts/57362582</id><summary><![CDATA[続き]]></summary><author><name>cuna</name></author><published>2025-09-01T10:02:20+00:00</published><updated>2026-06-11T00:05:31+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>続き</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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