サマディ 距離
サマディは特定の状態を指す言葉ではなく、サマディは全てです。なので、サマディに触れていない人はいません。触れるとか触れないとか選択する余地もないくらい(実際に選択不可です)、そこにあります。
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もう言葉なのでちょっとめちゃくちゃですが(笑)、このダイレクトさを言葉にするとしたらこんな感じです。
サマディが遠くにある特別な場所や特別な何か(境地)のような気がするのは、そこに「距離」があるからです。
「私(個人)」が生まれた瞬間に「距離」が生まれます。
すると、もうダイレクトではないですね。
"私"がサマディを手にする。"私"がサマディに辿り着く。そうなってしまうわけです。ここに距離が見えますか?「私」と「サマディ」の間の距離が見えますか?
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「私」が強まるほど全てのものとの距離が深まります。
"私"が手に入れる。"私"が救われる。今よりもっとしあわせになれる。もっとお金持ちになれる。でも、そうではなく、むしろそれをやればやるほど"私"が強まります。
それをやっているのが宗教やスピリチュアルの世界ですが、本当のリアルは、誰も救われません。誰も悟りません。
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でも、だからといって、例えば「救助隊に〇名の方が救われました」というニュースを見て「実際は誰も救われない」なんて思うことは起きないし、宗教を持つ友人に「誰が救われるの?」と思うことも起きません。これは何かの教えや、答えや、そのような情報や、知識ではないからです。
「個人」とは一切無関係です。
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このブログにはヨガのこともサマディのことも書いているので混乱させてしまうことがあると思います。ヨガのことについては、今後はここにはあまり書かないかもしれません。その分レッスンを通して伝えていきます。このブログにはサマディのことを時々書いていきます。
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